古本屋の2日間の年始休日

1度人生のどん底に突き落とされてみると、普通に生活していられる事が実にありがたい。古本屋を始めて丸三年。明日から4年目のスタートだ。
普通の会社なら、今年の年度目標、四半期ごとの計画への落とし込み等々、様々な到達目標が設定され、目標への決意を新たにする、「不況こそチャンスの時期だ」「強く思えば必ず叶う」と叱咤激励の渦巻く仕事始めになるのかもしれないが。何せ、夫婦2人だけでやっている個人経営では、家族が生活できればオールライト。不況だからといって、解雇する契約社員もいない。解雇される事もない。有り難い。まったく有り難い事だ。
古本屋の世界は、それではのんびりしているのかと言えば,そうでもなく競争は激しく、仕入れは益々難しくなっている。資本主義社会である限り、それがお金になる以上競争のなくなる事はないのだろう。いや、むしろ、個性と言うものが存在する限り、競争は自然とそこに入り込んでくるのかもしれない。
生物の究極の個性は遺伝子らしい。有性生殖が地球に登場して以来、個性は等比級数的に拡大してきた。無限の生育環境が与えられていれば競争など存在しなかったかも知れないが、環境は常に有限だ。そこには必然的に自然淘汰という大原則が忍び込んでくる。
「私」や「あなた」は数十億年の淘汰を生き延びてきた生命力の頂点に立っているわけだ。競争にはめっぽう強いはずだが、何せ、その他大勢も自然淘汰を生き延びてきた末裔だ。そう易々と勝たせてはくれない。
でも、「負け組みにはなりたくないね」そんな言葉が聞こえてくる。
私たちは普段、「勝ち組」「負け組み」と言う言葉を他人事のように使っているのだろうが、いつの間にかその世界にどっぷりつかっているのだろう。年末の「派遣村」の開村も、なにやら他人事のような気もするがそこにいるのが私であっても一向不思議ではない世の中に生きている。
いつから、そうなったのか、いつもそうだったのか私にはよく分からないが、なにやら住みにくくなったものだ。いつも、何かに追い立てられているような不安定な心。
でも、不安定なのが「心」だけなら、意外と抜け出すのも簡単かもしれない。他人や世界は容易に変えられないが自分の心だけなら何とかなるだろう。
仏教のほうでは「唯識」という考え方があるそうだ。世界とはあなたの「心」が作り出すもの、実在するものでは無い。だからそれに囚われるな。実在しないものに固執するな、というものらしい。
私達は普段何気なく世間の価値観を受け入れ、その中で育ち、生きているが、それにしたって、他人の「心」が作り出した世界観から出てくるものだ。ましてや最近では、頼みもしないのにマスメディアが強引にそれを誘導している感もある。ある意味人様の価値観を知らず知らずに自分のものと錯覚しているところもあるかもしれない。
一度、そんなものを全部放り出して、自分の心に向き合い、自分の世界をもう一度最初から作り直してみるのもいいかもしれない。世界は意外にシンプルなものだろう。とりあえず、自分の世界だけでもシンプルにしてみようか。
そんな事を考えて過ぎていった古本屋の2日間の正月休みだった。

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