森と娘

今、私は森に隣接した台地に居を構え、古本屋を生業にしているが、以前は街中のアパートに暮らし、サラリーマン生活をしていた。その当時は休みになるたびに山へ行き、連休ともなると、キャンプ道具を車に詰め込み、家族共々自然の懐目指しての大移動を繰り返していた。
次第に、自然の中で暮らしたいという気持ちが募り、数年にわたり、家を建てるにふさわしい土地を探していた。そんな時にめぐり合ったのが今住んでいる土地だ。当時は10世帯程度の人家が点々と並ぶ開拓の村だった。林業試験場の実験林、自然公園としての園地、そしてその背後には、標高3000mの山々に続く森が広がっている。
自然に囲まれて暮らすようになると、連休の度に出かけていたキャンプにも全く行かなくなった。ここ10年の間で唯一キャンプにで出かけたのは、上の息子が小学6年生になった夏の北海道だけだろう。自然が目の前に広がっているわけだから、わざわざ自然を求めてキャンプに行く必要は無くなったわけだ。
家を建てて1年目、早春の雪解けの時期、保育園に通っていた下の娘と家の周りを散歩した事が懐かしく思い出される。近くの野を歩くと、ふきのとうや大犬のふぐりが、緑の少ない野に可憐な花びらを広げている。冬の間に眠っていた大地が臨月を向かえ、生命のダンスが始まろうとしていた。娘と二人で、代わる代わるに大犬のふぐりの花弁を覗き込んでは、「綺麗だね」「可愛いね」と顔を見合わせていた。この台地に家を建てて良かったなと、しみじみ思ったものだ。
自然の中で、あんなに楽しそうに遊んでいた娘も、今は中学生。コンビニの1軒も無い森の生活が快適とは思えない年頃になってしまった。やがて娘は森を出て行くだろう。町の暮らしを始めれば、森の事は忘れる。それはそれで自然の成り行きというものだと思う。森には自然があるが、町には文化がある。時が流れ、すっかり町の生活に染まった娘が、再び故郷に帰った時、この森はどんな風に娘の目に映るのだろうか。アイポッドが欲しいと言い出した娘を見て、ふと、そんな事が頭をよぎった。

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