Posted by molk at 古本買取「創育の森」|カテゴリーklomの独り言

言葉

古本屋という職業は膨大な量の本に囲まれた生活をしている。読書好きにはたまらない環境と思われそうだが、職業となるとそういうわけにもいかない。学生時代には1週間に2冊程度の本を読んでいたが、今は月に1,2冊というところだろう。勿論、色々な本を目にするので、この仕事を始めたばかりの頃は、自分専用の本棚に興味を持った本を取り分けておいた。ところが3ヶ月もしないうちに、本棚に一杯の本がたまっていく。本が増えていくペースを考えると、1日に1冊は読んでいかないと追いつかないことにすぐに気づいた。それ以来、本を取り分ける事を止め。今はよほどの事がなければ全ての本を販売している。

私がいわゆる読書というものを始めたのは高校3年生の夏からだ。それまで、読書をしていなかったかといえば、そういうわけではない。ルパンやホームズ、推理小説など、娯楽や楽しみとしての読書は小学校の時から続いていた。
高校3年の夏休みのある日、私は美大を受験する友達の家に遊びに行った。彼の部屋には、彼が心頭する、ダリの絵や、それを真似て彼が書いたシュールリアリズム的な絵が飾ってあった。ピンクフロイドの音楽とダリの絵に囲まれた狭い部屋の中で、彼は「存在」とか「時間」とか「虚無」について熱く語るのだが、私には何がなんだか分からなかった。日常からひらりと抜け落ちたような彼の言葉の中から、この世には、私の住んでいる世界とは別の次元の世界があるんだなという印象だけがぼんやりとした頭の底に蓄積していった。

その時に彼が読めと薦めてくれた本が「ツァラトゥストラは斯く語りき」というニーチェの本だった。さすがに、初めての読書でニーチェは難解すぎたが、それ以来、私は日常の中に埋没していた生活とは別れを告げて、遅まきながら、大脳皮質にとっての究極の命題である「私」と向かい合う事になった。

私にとって「読書」とは「私」を捜し求める旅のようなものかも知れない。ただ、その果てに今私が感じている事は、「言葉で表現できないものがある」という事だ。もともと言葉というものは、物事の差異を峻別する記号だ。言葉は事物を孤立化し、世界を切り刻んでいく、そして、言葉を操る人々は、孤立化した事物を己の内部のイメージに近づけようと努める。作家がもっとも生き生きしている瞬間だろう。そして、そのプロセスの中で、言葉が作家のイメージをモザイク画のよう再構築していく。

そのモザイク画は、遠目にはほぼ完璧のように見えるが、よく見れば、ピースが1枚抜け落ちている。むしろ、ピースは全て埋まっているのだが、ピースとピースの隙間から世界が少しずつ抜け落ちているといった方が良いかもしれない。勿論、僅かに抜け落ちているものを補うのが読者の「想像力」というものかもしれない。もしかすると、私には単にこの「想像力」というものが足りないだけなのかもしれない。できれば、そうであってもらいたい。

だが、私は、言葉が持つ生来的な宿命を感じている。全体として事物を捕らえるのではなく、全体を峻別し細分化していく事によって成り立つ言葉の本質的な作用が、言葉を「世界そのもの」そして「私」から遠ざけているような気がしてならない。それが、メタファーとしての言葉の限界なのかもしれない。
だとしたら、私達はどのようにして、「世界そのもの」そして「私」を表現できるのだろうか。「世界そのもの」そして「私」は感じるものであって、表現できるものではないのかもしれない。

例えそうではあっても、言葉が「世界そのもの」そして「私」に肉薄しようとする試みの中に私はその美学を感じる。ただ、現代科学がビッグバン以降、現在までの宇宙の形成過程を記述する事はできるが、ビッグバンそのものを記述する事ができないとい点に、何か相通じるものを感じてしまう。

「言葉」というものをけなすような表現になってしまったが、これもまた「言葉」。「思考」もまた「言葉」であるからには、「言葉」を否定する事は自分自身を否定する事に等しい。また、言葉によって成り立つ本を売る古本屋自体を否定する事にもなるだろう。それでは、私が生きていけない。

でも、ひょっとすると「言葉」によって成り立つ「思考」そのものを否定した時、「思考」から成り立つ自分自身を否定した時に「世界そのもの」そして「私」が一つの全体として立ち現れてくるのかもしれない。



よろしければ応援クリックお願いします→人気blogランキング参加中
2007年07月17日 | Comment(0) | TrackBack(1)

Posted by molk at 古本買取「創育の森」|カテゴリーklomの独り言

森と娘

今、私は森に隣接した台地に居を構え、古本屋を生業にしているが、以前は街中のアパートに暮らし、サラリーマン生活をしていた。その当時は休みになるたびに山へ行き、連休ともなると、キャンプ道具を車に詰め込み、家族共々自然の懐目指しての大移動を繰り返していた。

次第に、自然の中で暮らしたいという気持ちが募り、数年にわたり、家を建てるにふさわしい土地を探していた。そんな時にめぐり合ったのが今住んでいる土地だ。当時は10世帯程度の人家が点々と並ぶ開拓の村だった。林業試験場の実験林、自然公園としての園地、そしてその背後には、標高3000mの山々に続く森が広がっている。

自然に囲まれて暮らすようになると、連休の度に出かけていたキャンプにも全く行かなくなった。ここ10年の間で唯一キャンプにで出かけたのは、上の息子が小学6年生になった夏の北海道だけだろう。自然が目の前に広がっているわけだから、わざわざ自然を求めてキャンプに行く必要は無くなったわけだ。

家を建てて1年目、早春の雪解けの時期、保育園に通っていた下の娘と家の周りを散歩した事が懐かしく思い出される。近くの野を歩くと、ふきのとうや大犬のふぐりが、緑の少ない野に可憐な花びらを広げている。冬の間に眠っていた大地が臨月を向かえ、生命のダンスが始まろうとしていた。娘と二人で、代わる代わるに大犬のふぐりの花弁を覗き込んでは、「綺麗だね」「可愛いね」と顔を見合わせていた。この台地に家を建てて良かったなと、しみじみ思ったものだ。

自然の中で、あんなに楽しそうに遊んでいた娘も、今は中学生。コンビニの1軒も無い森の生活が快適とは思えない年頃になってしまった。やがて娘は森を出て行くだろう。町の暮らしを始めれば、森の事は忘れる。それはそれで自然の成り行きというものだと思う。森には自然があるが、町には文化がある。時が流れ、すっかり町の生活に染まった娘が、再び故郷に帰った時、この森はどんな風に娘の目に映るのだろうか。アイポッドが欲しいと言い出した娘を見て、ふと、そんな事が頭をよぎった。

よろしければ応援クリックお願いします→人気blogランキング参加中
2007年07月18日 | Comment(0) | TrackBack(0)

Posted by molk at 古本買取「創育の森」|カテゴリーklomの独り言

マイルス

部屋の掃除をしていたら、懐かしいレコードが出てきた。マイルス・デービスの「ラウンドアバウトミッドナイト」。夜中の1時過ぎに出てきたのもタイトルにふさわしい登場の仕方だ。

1975年1月。マイルスを生で聴いた最初で最後の日だ。

西新宿には高層ビルが3本しかなかった。新宿駅から西口公園までの間に、まだ広大な空き地が残っていた時代。貧乏学生の私は、神田神保町近くのJAZZ喫茶スマイルにいる時間が、学校にいるよりも長いような日々を過ごしていた。CDというものも無く。今にして思えば巨大なレコードが重量のあるターンテーブルの上で毎分33と3分の1回転で回っていた時代だ。

マイルスが日本に来日しているのは知っていた。だが、チケットを買うだけの余裕は無かった。今から思えば惜しい事をしたと思うが、その当時は、本当に金が無かったのだろう。

住友ビルの横をアパートに向かって歩いている時、突然ミュートの効いたトランペットの音色が闇を切り裂くように響いてきた。エレキギターと太鼓がうねるようにリズムを刻んでいる。振り向くと、空き地の辺りから光が漏れ、短いが力強いトランペットの音色が、恐竜のうめきのように間歇的に響いてくる。

あぁ、マイルスだ。

4畳半の部屋で聴くマイルスもいいが、地底から無限の空間に解き放たれていく、寡黙な音符は、神々のもののように美しかった。饒舌な修道士ジョンコルトレーンとは明らかに趣を異にした美しさだ。コルトレーンの響きには神を見上げるような憧憬の念がこもっている。コルトレーンは神を求めていた。「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌をテーマにした「マイ・フェーバリット・シングス」はコルトレーンのもっともポピュラーな曲だろう。JAZZ好きで知らないものは誰もいない。初レコーディングのアルバムは、その名もずばり「マイ・フェーバリット・シングス」。タイトル通り、可愛らしいテーマを歌い上げた後のインプロヴィゼーションはとても明快で、美しいものだった。彼は、その後何度もこの曲をレコーディングしている。私が最後に聴いたのは来日公演での30分を超えようかというもっとも饒舌な「マイ・フェーバリット・シングス」だった。この頃、コルトレーンは自らと神のギャップを埋めるために30分以上もお経を唱えなくてはならないほどに神との乖離を感じていたのではないだろうか。演奏するたびに長く饒舌になっていく「マイ・フェーバリット・シングス」。それを聴く度に、神を求めるコルトレーンの苦悩を感じてしまうのは私だけだろうか。やがて、よだれを垂らしながらサックスを吹くコルトレーンの顔が恍惚の表情に変わる瞬間、彼は神の元にあるのだろう。

マイルスは神を求めはしない。彼は神と対等に向き合っている。神が神に語りかけるかのようにマイルスは歌う。私は、近くの道路わきに座りながら、演奏の終わるまでの小一時間、闇の中、寡黙なマイルスと神のやり取りを聴いていた。

その、翌年マイルスはJAZZ界から姿を消した。もっとも神に近かった時代のマイルスをリアルタイムに体験できたこの日を、私は忘れる事は無いだろう。その後のマイルスの消息を私は知らない。

よろしければ応援クリックお願いします→人気blogランキング参加中
2007年07月24日 | Comment(0) | TrackBack(0)

Posted by molk at 古本買取「創育の森」|カテゴリーklomの独り言

エリック・ドルフィー

マイルスの事を書いたので、ドルフィーの事も書きたくなった。
マイルスは長生きだったが、コルトレーンやドルフィーは短命だった。ハッキリした年齢は思い出せないが、コルトレーン40歳代、ドルフィー30歳代だったと思う。

コルトレーンは短命であったにしろ、その生涯の中でやるべきことは全てやってしまったような気がする。マイルスのもとで成長し、自らの音の世界を見つけ出し「ジャイアントステップ」でシーツオブサウンドの基礎を築き「至上の愛」で神の恩寵を讃え、ドルフィーに触発されながら、フリーという領域に神への道を探り、「アセンション」でぶっ飛んでいった。彼にとっての聴衆はもう神一人で十分になっていたかのように聞える日本公演での「マイフェーバリットシング」。そして、彼は名実共に聖者となってしまった。

エリック・ドルフィーって誰?最近JAZZを聴き始めた人の中にはそんな人もいるかも知れない。私も、最初は知らなかった。

ある日、神田神保町のジャズ喫茶スマイルで、昼間からウイスキーを飲んでいた時,私の心の中にすーっとフルートの音色がハミングバードのように舞い込んできた。花々と戯れるような自然の響き、それは人が演奏しているとは思えないくらい、澄んでいて、黒に埋め尽くされているJAZZ喫茶の空間が、一瞬で草花に覆われた野原に変わったような驚きだった。ある時は、地上近く花弁の蜜を吸い、ある時は天に浮かぶ雲と競うかのように高く昇っていく。ハミングバードの高速な羽ばたきがスローモーションのように流れ、更にストップモーションに転じ、湾曲した羽が空気をゆっくりと押し下げていく。かと思えば、羽根は空気に解け去り、球状のボデイーだけが、鉛直方向に跳ね上がっていく。

演奏が終わった後、巴ママに尋ねると。エリック・ドルフィーだと教えられた。「At the five spot vol.2」のB面を全て埋め尽くしている1本の溝から流れていたのは「Like Someone In Love」という曲だった。

初めて買ったレコードは「Last Date」。B面に入っている「You don't know what love is」は彼の演奏する最も美しいフルートだろう。ライナーノートを読んで彼がすでに亡くなっている事、そして、このレコードが最後の録音だった事を知った。レコードの最後の曲が終わると、突然、エリックドルフィーの肉声が聞える。私が、音楽以外で知る、唯一のエリックドルフィー。余りにも有名な言葉だが、あえてここに書いておこう。

When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again.

音楽という言葉は、一つのメターファーに過ぎない、その言葉は創造にかかわるあらゆる瞬間を含んでいる。人の生も一つの創造であるからには、そこに人生という言葉を埋め込んでも、なんら、意図するものは変わらない。

30代の彼の音楽はまだ途上だった。

世阿弥は60歳になり「花鏡」の中でこう述べている。

初心忘るべからず
是非の初心忘るべからず
時々の初心忘るべからず
老後の初心忘るべからず
命に終わりあり、能には果てあるべからず

芸に対する慢心を戒める言葉なのだろうか。芸術という一瞬の生成の中に滞る事があってはならない。完成とはある意味、芸術の生成の死を意味する言葉に過ぎないのだから。1度きりの生成の中に生きている事。そしてそれを知っている事。

世阿弥とドルフィーは同じ物を見つめている。

それにしても、ドルフィーの人生は短かった。短かったからこそ、私の心に響いてくるのかもしれないが、私は、もう少し、彼の踊りを眺めていたかった。コルトレーンやマイルスが道を切り拓き、私の視界の彼方に消え去ったように、ドルフィーにも生きてもらいたかった。彼の墓はいまだ私の視界の中にあり、その先に道は無い。


よろしければ応援クリックお願いします→人気blogランキング参加中
2007年07月26日 | Comment(0) | TrackBack(0) |タグ:JAZZ ジャズ

Posted by molk at 古本買取「創育の森」|カテゴリーklomの独り言

プーが退院した日

プーが私のいない隙にブログを更新したらしい。
プーの病気については私にも想い出がある。過去のブログの記事を一部修正してここに残しておこう。プーの怖かった想い出がどんなものか多少は分かるかもしれない。

我が家には「クー」という雌猫と「プー」」という雄猫がいる。2匹とも子供たちが拾ってきた猫たちだ。

プーはほんの小さい時に娘がダンボールに入れられているのを拾ってきたのだが、すでに家には息子が拾ってきたクーがいたため、別の家に引き取られた。ところが、2日もしないうちに戻されてきた。鼻をたらして風采のさえない子猫は結局我が家の住人となった。

小さいうちはクーが体を舐めたりして可愛がっていたが、今では体重がクーの2倍にもなり、すっかり疎んじられている。むしろ嫌われているといった方が正しいだろう。プーが近寄るたびにクーは「うぅ〜」と唸り声を上げて威嚇する。

クーは美人で、猫らしく家の中でも孤高を保ち、いわゆる猫らしい猫だ。一方プーはどちらかというと不細工で猫というよりは人間に近いところがある。

プーは生まれてまもない時期から私たちと暮らしているせいか、自分も家族の一員だと思っている節がある。食事の時間になると、いつの間にか、今は東京で暮らしている息子の席に座っている。かといって食べ物に手を出すわけでもなく、眠そうな目をしながら家族団らんの会話に耳を澄ませている。

妻が台所にいる時は台所に、洗面所にいる時にはその前にちょこんと座って待っている。食欲は異常に旺盛で、お腹がすいたら力強く足にすりより訴えてくる。朝早くにお腹がすいた時には、寝室のドアを閉めておいても、ドアノブを手で回し、ドアを開けて入ってきて「みゃー、みゃー」と訴える。それでも駄目な時は、やんわりと手を噛んだりもする。とにかく人懐っこい猫だ。

そのプーが1週間入院した事がある。
かなり重症だったらしく、医者の話ではあと半日遅れたら危なかったらしい。

プーは3年前にも同じ病気で3日ほど入院している。その時に医者に薦められ、尿道結石用のえさを食べさせていたのだが、普通に売っているえさに比べると目が飛び出るくらいに高級なものだった。
しばらくは与えていたが、普通のものに戻したのが良くなかったらしい。

いたい思いをして、病院から一週間ぶりにプーが家に戻ってきた日の事だ。
妻はプーの退院がよほどうれしかったらしい。リビングのストーブの前で、お腹を見せながら寝転がっているプーの、毛をそられた前足を見ながら「一人で入院していて寂しかったね」「たくさん注射打たれて痛かったね」などと盛んに声をかけていた。怖かった病院での出来事を思い出すのか、プーが時々体を震わせているのがとても気になるらしいのだ。

私は仕入れてきた500冊ほどの本の清掃をしながらその様子を眺めていた。夜の12時を過ぎ娘も妻も寝室に上がった。私もストーブの前で気持ちよさそうに眠っているプーを置いて2階へ上がり、本の出品をしている時だった。突然、下のリビングから、怯えたようなプーの泣き声が聞こえてきた。

目が覚めて、誰もいない事に気づき、病院での一人の夜を思い出し怖くなったのだろう。必死に私たちを捜し求めているように感じたので、私は吹き抜けの2階から「プー!プー!」と声をかけた。すると、一目散に階段を駆け上がる音が聞こえたと思うまもなく、プーが私の足に体を摺り寄せてきた。抱いてやると、私の腕をしっかりと掴み、じっと私を見つめ返してきた。「一人にしないでね」と訴えているようだった。しばらく抱いていたが、出品作業ができなくなるので、静かに妻のベッドに降ろしてやった。すると、うれしそうに布団の中にもぐりこんで行った。

よろしければ応援クリックお願いします→人気blogランキング参加中
2007年07月29日 | Comment(2) | TrackBack(0) |タグ: ネコ

Posted by molk at 古本買取「創育の森」|カテゴリーklomの独り言

空飛ぶ古本屋

我が家のロフトにはパラグライダーが3機しまってある。そのうちの1機は木に引っかかった時に破損したので、実際に使えるものは2機だけだ。

パラグライダーを始めたのは18年前。師匠が日本選手権や世界選手権に出場していたアスリートだったので、私の腕もめきめき上達し、各地の大会に出場していた。
始めた当初のパラグライダーは性能も悪く、標高差500m程度をパラグライダーを担いで登り、離陸すると山肌を掠めながら5分ほどで降りてくる程度ののものだった。それでも、汗だくになりながら山を登ったものだ。勿論、シーズンになるとゴンドラを使って一気に上ることも出来たが、それを待ちきれずに1時間以上もかけて山を登ったものだ。
数年するとパラグライダーの性能が急激に良くなり、上手く上昇気流をつかむと、2時間、3時間と飛んでいることが出来るようになった。

そんなパラグライダーだったが8年程前にピタリと止めた。
自分の会社を設立したのが原因だった。アルバイトは使っていたが、私に何かあれば業務が立ち行かなくなるような状態だった。パラグライダーは危険すぎた。

実際、その時までに私は3回ほど死にそうになっている。1度は木に引っかかった。咄嗟に木にしがみついたので墜落は免れた。2度目は電線に引っかかった。あと1mずれていたら電柱に激突するところだった。3度目はきりもみ状態での墜落。落ちたところが急斜面だったため、地面に激突しないで、滑り落ちることによって死を免れた。3度目のときは1ヶ月ほど松葉杖をついていた。

パラグライダーは上昇気流にとどまる事で上昇していく。風を知り、風と友達になることが空ではもっとも大切なことだ。
パラグライダーで地上を離れた私は、木立の葉のざわめきに目を凝らす、目には見えない上昇気流を探すためだ。上昇気流に近づくと翼端がわずかに持ち上げられる、それと同時に私は旋回を開始する。徐々に機体全体に風の圧力を感じ、パラグライダーはゆっくり上昇していく。旋回の大きさと角度を調整しながらさらに上昇気流の中心を目指す。
中心を捕らえた瞬間、秒速6m近くの空気の塊と共に、私の体は一気に上昇していく。山々の頂上を越えると360度の展望が開け、眼下のスキー場が箱庭のように見えるころ、私は標高1800mの大気と共にある。そして、雲に吸い込まれる前に目標の峰を目指し滑空を開始する、途中いくつかの上昇気流に助けられながら目指す峰の中腹に取り付く。そこからまた風を探し、上昇の時を向かえる。

広大な地球の広がり、無限に続く空。エンジンの爆音も排気ガスのにおいも無い。唯、太陽が生み出す大気のうねりを感じることによってのみ、その上昇が可能となる。
大きな自然と共にある時、地上を這いずり回って生きている、自分の小ささ、頼りなさががよく見えてくる。つまらない見栄や不安から人を傷つけたり、一歩前に踏み出せなくなっている自分が、何故か滑稽にさえ思えてきたものだ。
自然との一体感が、いつの間にか心のバランスを修正し、やせ細った心を豊かにしてくれる。

人間は労働によって自然を人間化して来た。そして、それが進歩と呼ばれてきた。それを否定するつもりは無いが、人間が自然化される事も時には必要なのだろう。

空飛ぶ古本屋が一人くらいいてもいいかもしれない。

よろしければ応援クリックお願いします→人気blogランキング参加中
2007年07月30日 | Comment(0) | TrackBack(0)

Posted by molk at 古本買取「創育の森」|カテゴリーklomの独り言

Time is money.

田舎に住んでいると、太陽や星や自然の移り変わりが人の生きるリズムを生み出している。時はゆっくりと流れ、いつも私の傍らで、従順な犬のように私を待っていてくれる。ところが、いつの頃からだろうか、時は金(貨幣)に取って代わられたかのようだ。

Time is money.

それが、世界で最初に産業革命が起こった国の言葉で書き記されている事が面白い。ヒンズー語でもスワヒリ語でも中国語でもなく、英語である事に納得させられるのだ。

資本主義がその産声を上げた時から、ヨーロッパの人々は自然が刻むおおらかな時を離れ、利潤が刻む、時のリズムに魅了されていった。自然のリズムに生きる地域と利潤のリズムに生きる地域の差が、経済における南北の2極化を生み出したのだろう。科学自体に罪はないが、全ての欲望に開かれている。資本主義は科学という倍力装置を利用してますます貨幣の奴隷に成り下がっていく。

私たちはある意味幸運な事に、北の地域に住んでいた。Time is money.の側に暮らして、豊かな生活を享受して来た。

Time is money.とは、別の言葉で言えば「効率こそ全て」という事だ。いかにして効率よく金をもうけるか。企業の行動基準はそこで働く人の気持ちはどうあれ、最終的にそこに集約されるものだろう。それを覆い隠すためか、最近の経営者は「理念」を高く掲げる。

最近では、グローバルスタンダードという言葉がもてはやされている。むしろ、アメリカンスタンダードと言ってもいいかもしれない。地域としての北で豊かさを享受していたはずの、一人ひとりの人間に、今、それが突きつけられはじめている。南北という地域間の2極化は次第に薄れ、利潤という最終目標を基準に、グローバルに人が峻別される時代がやがてやってくるだろう。

人間の2極化。

ブックオフへ行けばその峻別に生き残るためのノウハウ書が山ほど並んでいる。同時に、その峻別に対応しきれなくなった心のための癒しの本も所狭しと並んでいる。

私たちは、まるで、企業という恐竜が闊歩しているジュラ紀の哺乳類になってしまったようだ。

私はアマゾンで『「プロ経営者」の条件』という本をずいぶんと売ったが、「理念」を尊ぶ、著者の折口雅博会長傘下のコムスン騒動を振り返ると、企業という恐竜のロジックが透けて見えてくる。金(貨幣)は無限に増殖するがん細胞のように私達の心を蝕んでいる。

腐らない貨幣というものの誕生が、全ての根源にある。腐らないから蓄えられる。そして、貨幣には利子を生む商品としての側面がある。巨大な金融資本が誕生し、いまや、くもの巣のように資本主義社会の裏側で暗躍?している。徐々に、実業としての企業はないがしろにされ、果てしないマネーゲームの食い物にされようとしている。貨幣はすでに神を駆逐し。万物の頂点で己の栄華を極めている。


現在においてお金の無い世界は存在しえるのだろうか。そんなユートピアを提示しているのが。この本だ。ユートピアはあくまで思念の世界に存在するに過ぎないものだが、新しい世界に繋がる里程標としての役割は担えるだろう。


むしろ、ミヒャエル・エンデが述べている、金の二つの側面に関する考察の方がより現実的かもしれない。
彼の貨幣に対する考察は、こんな時代にこそ、われわれの未来を考える教科書になるのではないだろうか。
詳しくは、アマゾンの書評を参考にされたい。

よろしければ応援クリックお願いします→人気blogランキング参加中
2007年08月02日 | Comment(0) | TrackBack(0) |タグ:貨幣 お金 エンデ

Posted by molk at 古本買取「創育の森」|カテゴリーklomの独り言

スイッチョン

昨日朝早く起きて、家族3人で金沢へ行ってきた。
金沢は私にとっても思い出の土地。若い時期に2年ほど暮らした場所だ。実際に暮らしていたのは卯辰山という山中だった。
主な目的は娘のショッピング。街好きな娘の要望に応えたドライブだった。が、そこには多少ながら、親の好みも反映され、ショッピングの前に朝の千里浜ドライブウエイの砂浜を車で走り、潮に足を浸し、珍しい桜の花びらのような紋様のある貝?を拾った。

10時に最近できた駅前のショッピングビルに向かう、さすがに女2人のショッピングに付き合うのは大変なので、私は駅の近くにあるブックオフに一人で向かう事にした。

ブックオフについてしばらくしたら、単行本のセールをやっている事に気づき、棚を眺めてみる。ここで、古本屋の嗅覚が騒いだ。かなりいい本が並んでいる。私の地元のブックオフとは大違いの本の質。

古本屋はブックオフでも仕入れをする。見る間に黄色いカゴに本が一杯になっていった。いつの間にか4時間が経過していた。途中から合流した、妻と娘に手伝ってもらい、カゴを4つ持って会計を済ます。遊びに来たのに、仕事をしてしまうあたりが、貧乏古本屋の貧乏たる所以なのかもしれない。

次に、若い頃良く遊びに言った竪町に向かう。当時の面影はかけらも無く、垢抜けた商店街になっていた。娘は水を得た魚のように、店から店へと泳ぎ回る。私達夫婦はその後を、侍従のように付き従う。子どもながらに経済観念の発達した貧乏古本屋の娘は、値札を見ながら時にため息をつく。それでも気に入った服が見つかったようで、嬉しそうに店を出た。辺りには夕方の気配が漂い、若者達の姿が増えてきた。

私達は、夕映えの街を後にして、卯辰山に向かった。夕焼けを見ようと思ったのだが、少し遅かった。墨を混ぜ合わせたような青はすでに薄紫からグレイに変わりどんどんと明度を下げていた。それに対抗するように、眼窩の街がキラキラと夜の装いをまとい、見上げる空には1番星がだんだんとその姿を現してきた。私は昨夜一人で見たペルセウス座流星群を娘にも見せてやりたいと思いしばらく空を眺めていたが、首が痛くなるだけだった。

山を降り、行燈で照らし出される町並みが美しいと聞いた西の茶屋町にいってみたが、余りにもイメージと異なる景観に3人で肩を落とした。
その後、トイレを済ますために立ち寄ったブックオフで私は、又も古本屋のおやじに戻り20冊ほど本を購入。これで1時間は使っただろうか、娘が待ちつかれてしまったようだった。

少し遅くなった夕食に、何を食べたいかと娘に聞くがはっきりと応えない。私はラーメン、妻はすし。じゃ、すしにするかと娘に尋ねると、安い物でいいよと応える。娘は私達の懐を心配しているようだった。娘にそんな心配をかけてしまうような自分の不甲斐なさに心を馳せながら、私は国道8号線の車の流れを目で追っていた。結局、遅い夕食はラーメンになり、初めて食べた店のラーメンの味について、3人の批評会が始まり、最後に一つ残された餃子を、妻が私の口に放り込んでお開きとなった。すでに、午後の10時30分を過ぎていた。

来る時は高速で来たが、帰りは山越えの道を走り家路に着いた。30分早く着く事よりも、高速代をケチる方が我が家にとっては優先事項だった。山田太郎君の影響だろうか。むしろ、それが、私の若い頃からの習性なのだろう。以前、北海道に3週間ばかり家族4人で20泊程度の旅行に出かけた事がある。カニも食べカヌーに乗り、山に登り、ラフティングも楽しんだが、かけた費用はフェリー代を含めて20万円足らず。今の時代に、旅行会社のツアーに参加して家族4人で20泊するといったいいくらかかるのだろうか。大体20泊するようなツアーは見たことも無い。北海道は20泊してもまだまだ足りないくらい大きな自然に包まれていた。

家に帰り、しばらくすると、ローズが叫んだ「流れ星だ」。

そこで夜中の1時過ぎに家族3人で家の前の道路に寝転がり、外灯の光で以前よりも明るくなってしまった山の空を眺める事にした。流れ星の数はそんなに多くは無かったが、「あ、でた」「えー、見損ねた」「でた」「どこ」と小一時間盛り上がった。10個近くの流れ星を見たのだが、願いを掛ける暇も無く闇の中に消えていった。

藪のなかではハタケノウマオイがスイッチョン、スイッチョンと鳴いている。よく聞いていると時々最後の「チョン」を忘れている時がある。そうかと思えば、鳴き終えて3秒も過ぎた頃に「チョン」と最後の仕上げの声を上げる事もあり、それがとてもユーモラスで、人間くささを感じてしまう。一分の虫にも五分の魂という言葉を思い出してしまう。一分の体に五分の魂じゃ大きすぎるという茶々も入りそうだが、魂とは体に入りきらないからこそ、魂と呼ばれるのだろう。

3人の日帰り家族旅行はハタケノウマオイの「チョン」によって終止符が打たれた。

よろしければ応援クリックお願いします→人気blogランキング参加中
2007年08月14日 | Comment(4) | TrackBack(0) |タグ: せどり 金沢 古本

Posted by molk at 古本買取「創育の森」|カテゴリーklomの独り言

幸せ

我が家のパソコンは2階のオープンスペースに2台並んでいる。1台はローズが使い、もう1台は私が使う。パソコンの前にはリビング吹き抜けの天窓があり、額縁のように外の景色を区切り、その先には山の稜線と空が果てしなく続く。

今は、唯、漆黒の闇につつまれているが、この時期、朝になると、稜線から顔を出した太陽が天窓を覗き込むように光を降り注いでくる。光だけなら良いのだが、ジリジリと照りつける直射日光は、ご丁寧に夏の暑さまで送り届けてくれるのだ。暑中見舞いなら良いのだが、これだけはご遠慮願いたいと思っている。

インターネットで古本屋を営んでいると、一日の多くの時間、パソコンの前に座りっぱなしということもある。ましてや、ブログの更新やプログラミングをやっている私にとって、この場所は、買取に行く以外は1日のほとんどをすごす場所になっている。自然の移り変わりを真っ先に感じるのが我が家の天窓だ。

我が家の裏手は、天窓から見える小山の稜線に至るまで一面の森が広がっている。夏の日差しの中でも森に入ると涼しい空気がひっそりと息づき、夜になると一斉に我が家の方に流れ込んでくる。時々、天窓からもそのおこぼれが迷い込み、夏の暑さに疲れきった頬を撫で、森の匂いを運んでくる。エアコンの涼しさには及ぶべくも無いが、そのささやかで遠慮がちな涼感が私にとってはこの上も無く幸せなものに感じられる。

科学の発達は人の幸せを生み出すためにある。それは確かにその通りだろう。だが、それが人のささやかな幸せも同時に奪っているのかもしれない。エアコンのある生活の中では、森からやってくる、ささやかな夜の涼は味わえないだろう。自然は、つつましく、遠慮がちだが心に響く幸せの芽を黙って用意してくれている。声高に宣伝することもチラシを打つ事も無いがリアリティーに満ちている。

元来、幸せとはほんのささやかなものだったのだろう。「そのささやかな幸せを見えなくしているものは何なのかな」と、四角い天窓から流れてくるそよ風の中で考えている。プーもリビングの床で森のほうを見ながら小さな幸せを感じているようだ。

よろしければ応援クリックお願いします→人気blogランキング参加中
2007年08月16日 | Comment(0) | TrackBack(0) |タグ:幸せ

Posted by molk at 古本買取「創育の森」|カテゴリーklomの独り言

シビリアンコントロール

最近ローズと一緒に「おしん」という数十年前の連続テレビドラマを見ている。昨日見た回で日本は終戦を向かえ、長男は戦死、夫は隣組の組長として近所の若者を戦場へ駆り立てた責任をとり自決した。
子どものころ、脱走兵と一緒に一冬暮らした「おしん」は人が人を殺す戦争の不条理さを脱走兵から教えられ、日中戦争が始まった時から終戦までの15年間、心では戦争に反対しながらも、何もできなかった自分を悔いて涙する。
私は戦後の生まれで、太平洋戦争についての史実はほとんど知らない。ここで明確に何かを言う事はできないが、軍部がその目的は何であれ、政治家を飲み込み、国民を戦争に引きづり込んでいく大波をつくり出していった事だけは間違いのないことのように思える。恐慌が更に大波に拍車をかけたのだろう。次第に戦争に疑問を抱き始めた人々も、目の前に迫る大波の前にはなす術も無かったのだろう。コップ1杯の水なら飲み干す事ができたとしても、一旦大波になってしまえば流される以外に何ができただろうか。
我が家は、新聞を取っていないので世情に疎い所があるのだが、ちょっと気になったニュースがある。
最近、防衛庁が防衛省に組織替えをした。それ自体の是非は私には良く分からない。しかし、今回の防衛省事務次官の人事に関しては一抹の不安を感じてしまう。事務次官という名前からは軍人とは程遠いイメージがあるが、良く考えてみると、事務次官というのは軍人の最高職位なんだなという事に思い至る。
中学校の時、公民の時間に憲法の授業を受けた。その時、社会の先生は、2度と軍部主導の戦争が起きないように、国民の付託を受けた国会議員によって主に構成される内閣が文民として軍人をコントロールするんだよ。それをシビリアンコントロールと言うんだよと話してくださった。
今回の人事では、私達国民の最終的な代表者である防衛大臣が軍人の最高権力者である防衛省事務次官をコントロールできず、むしろ軍人の意のままにコントロールされてしまっているように見える。事情は色々あるのだろうが、シビリアンコントロールが目に見える形でないがしろにされている事に「コップ一杯」の不安を感じてしまうのは私の思い過ごしだろうか。
戦争の事が話題になるこの時期だからそう感じるのかもしれない。権力が最終的に軍事力によって担保されるのだとしたら、軍人のトップである事務次官には、たとえ不満があろうとも、甘んじてシビリアンコントロールに従うだけの謙虚さが求められるのではないのだろうか。


よろしければ応援クリックお願いします→人気blogランキング参加中
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。