十数年前に軍事用途で開発されたインターネットが、研究者のコミュニケーション手段となり、一般の人々でさえも今ではインターネット無しには暮らしていけないような時代になって来た。
さすがにもうすぐ80歳になろうかという私の母には無縁なもののようだが、古本屋である我が家にとっては、まさに命の綱だ。
私が学生だった頃は、どこの町のも古本屋はあったような気がする。が、この時代神田神保町界隈はどうだか分からないが、地方都市の古本屋はその数を急激に減らしてきた。それに追い討ちをかけるようにブックオフが日本全国に広がっている。ニューヨークにもあると聞いて驚いた。
このようなご時勢では、専門分野に特化し、地域にしっかりとネットワークを持っている古本屋以外に生きる道は無い。
はずだったが、どっこい古本屋はしぶとく生き延びている。さすがに店舗は無くなっていたとしても、ITに何とかついていける世代の古本屋はインターネットという魔法の店舗を手に入れた。そして、私のように事業に失敗し下層社会に転落していたものにまで生きる道を与えてくれた。私にとってインターネットは「ドラえもんのどこでもドア」に匹敵する贈り物だった。これは既存の古本屋の店主にとっても同じだろう。
店舗売りでは商圏が限られている。娯楽が増え、本を読む暇さえない世代が増えた時代に20坪程度の店舗での売上げはジリ貧だった。倉庫に眠る貴重な本も地方都市では見向きもされずにゴミの山と化す所だったに違いない。
田舎のジリ貧の古本屋もインターネットにつながれば商圏は何万倍にも広がる。日本どころか世界を相手に商売ができてしまうのだ。日本だけに限っても、今まで10万人の商圏が1億人に広がる。
10万人の商圏では売れる事の無いような本が売れていく。日本中でたった一人でも欲しいと思う人がいれば本は売れる。探す人にとってもインターネットは素晴らしいドアになる。
以前、1冊の本が売れた。それは私が今から25年ほど前、アメリカへ語学留学をするために利用した「毎日留学生年鑑」という本だ。廃品回収の時に捨てようと思った本だが、ひょっとしてと思い、この商売を始めた当初にアマゾンに1800円で出品していた。
一体誰が何の目的で買ったのかは不明だ。今から留学する人がそんな古いものを買うはずが無い。私と同じ時期に留学した人が懐かしさから買ったのか。留学関係の仕事をしている人が過去の留学事情を調べるためにかったのか。それとも、何かのミスでうっかりクリックしてしまったのか。最初は、間違い?と思ったが,送り先から何も苦情が無かったところを見れば、やはりその本が必要だったのだろう。
私は、それ以来、どんな本でもうかつに捨てる事ができなくなってしまった。勿論、「毎日留学生年鑑」も売れるまでに1年半かかっている。そうそう売れるわけは無い。でも、誰かこの本を探している人がいるかもしれないと思うと本を処分するのに躊躇してしまう。
ブックオフでは午前中に廃棄物業者がトラックで乗りつけ、ブックオフ基準の綺麗さに合格しない本はどんな貴重なものでも処分されている。以前も、時価5000円ほどする本が古いというだけで、廃棄のダンボールの中に投げ捨てられたのを見た。褐色に変色し、カバーもぼろぼろになってしまった本が、一瞬私に助けを求めたような気がしたので、店員にその本売ってくれませんかと聞いてみたところ、「この本は当社の基準に満たないものなので販売する事はできません」と断られてしまった。私も、引き下がらずに、何度か頼んでみたのだが「規定でお売りする事はできません」の一点張りだった。マニュアルに忠実な立派な店員とも言えるが、なんとも寂しい思いをしたものだ。
そういう私でさえも、その本に5000円という価値があるから、捨てるに忍びないという思いが起こるだけで、その本が価値の無いものだったらなんとも思いはしなかっただろう。本にしてみれば5000円の本も10円の本も同じ本に代わりが無い。
そういう意味で言えば、ブックオフ店員の本に対する公平さは見上げたものかもしれない。本の持つ市場価値ではなく、綺麗さという基準で本をある意味平等に扱っている。むしろ、私のほうが、欲という色眼鏡で本を見ているのかもしれない。
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