幸せ

我が家のパソコンは2階のオープンスペースに2台並んでいる。1台はローズが使い、もう1台は私が使う。パソコンの前にはリビング吹き抜けの天窓があり、額縁のように外の景色を区切り、その先には山の稜線と空が果てしなく続く。
今は、唯、漆黒の闇につつまれているが、この時期、朝になると、稜線から顔を出した太陽が天窓を覗き込むように光を降り注いでくる。光だけなら良いのだが、ジリジリと照りつける直射日光は、ご丁寧に夏の暑さまで送り届けてくれるのだ。暑中見舞いなら良いのだが、これだけはご遠慮願いたいと思っている。
インターネットで古本屋を営んでいると、一日の多くの時間、パソコンの前に座りっぱなしということもある。ましてや、ブログの更新やプログラミングをやっている私にとって、この場所は、買取に行く以外は1日のほとんどをすごす場所になっている。自然の移り変わりを真っ先に感じるのが我が家の天窓だ。
我が家の裏手は、天窓から見える小山の稜線に至るまで一面の森が広がっている。夏の日差しの中でも森に入ると涼しい空気がひっそりと息づき、夜になると一斉に我が家の方に流れ込んでくる。時々、天窓からもそのおこぼれが迷い込み、夏の暑さに疲れきった頬を撫で、森の匂いを運んでくる。エアコンの涼しさには及ぶべくも無いが、そのささやかで遠慮がちな涼感が私にとってはこの上も無く幸せなものに感じられる。
科学の発達は人の幸せを生み出すためにある。それは確かにその通りだろう。だが、それが人のささやかな幸せも同時に奪っているのかもしれない。エアコンのある生活の中では、森からやってくる、ささやかな夜の涼は味わえないだろう。自然は、つつましく、遠慮がちだが心に響く幸せの芽を黙って用意してくれている。声高に宣伝することもチラシを打つ事も無いがリアリティーに満ちている。
元来、幸せとはほんのささやかなものだったのだろう。「そのささやかな幸せを見えなくしているものは何なのかな」と、四角い天窓から流れてくるそよ風の中で考えている。プーもリビングの床で森のほうを見ながら小さな幸せを感じているようだ。

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