部屋の掃除をしていたら、懐かしいレコードが出てきた。マイルス・デービスの「ラウンドアバウトミッドナイト」。夜中の1時過ぎに出てきたのもタイトルにふさわしい登場の仕方だ。
1975年1月。マイルスを生で聴いた最初で最後の日だ。
西新宿には高層ビルが3本しかなかった。新宿駅から西口公園までの間に、まだ広大な空き地が残っていた時代。貧乏学生の私は、神田神保町近くのJAZZ喫茶スマイルにいる時間が、学校にいるよりも長いような日々を過ごしていた。CDというものも無く。今にして思えば巨大なレコードが重量のあるターンテーブルの上で毎分33と3分の1回転で回っていた時代だ。
マイルスが日本に来日しているのは知っていた。だが、チケットを買うだけの余裕は無かった。今から思えば惜しい事をしたと思うが、その当時は、本当に金が無かったのだろう。
住友ビルの横をアパートに向かって歩いている時、突然ミュートの効いたトランペットの音色が闇を切り裂くように響いてきた。エレキギターと太鼓がうねるようにリズムを刻んでいる。振り向くと、空き地の辺りから光が漏れ、短いが力強いトランペットの音色が、恐竜のうめきのように間歇的に響いてくる。
あぁ、マイルスだ。
4畳半の部屋で聴くマイルスもいいが、地底から無限の空間に解き放たれていく、寡黙な音符は、神々のもののように美しかった。饒舌な修道士ジョンコルトレーンとは明らかに趣を異にした美しさだ。コルトレーンの響きには神を見上げるような憧憬の念がこもっている。コルトレーンは神を求めていた。「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌をテーマにした「マイ・フェーバリット・シングス」はコルトレーンのもっともポピュラーな曲だろう。JAZZ好きで知らないものは誰もいない。初レコーディングのアルバムは、その名もずばり「マイ・フェーバリット・シングス」。タイトル通り、可愛らしいテーマを歌い上げた後のインプロヴィゼーションはとても明快で、美しいものだった。彼は、その後何度もこの曲をレコーディングしている。私が最後に聴いたのは来日公演での30分を超えようかというもっとも饒舌な「マイ・フェーバリット・シングス」だった。この頃、コルトレーンは自らと神のギャップを埋めるために30分以上もお経を唱えなくてはならないほどに神との乖離を感じていたのではないだろうか。演奏するたびに長く饒舌になっていく「マイ・フェーバリット・シングス」。それを聴く度に、神を求めるコルトレーンの苦悩を感じてしまうのは私だけだろうか。やがて、よだれを垂らしながらサックスを吹くコルトレーンの顔が恍惚の表情に変わる瞬間、彼は神の元にあるのだろう。
マイルスは神を求めはしない。彼は神と対等に向き合っている。神が神に語りかけるかのようにマイルスは歌う。私は、近くの道路わきに座りながら、演奏の終わるまでの小一時間、闇の中、寡黙なマイルスと神のやり取りを聴いていた。
その、翌年マイルスはJAZZ界から姿を消した。もっとも神に近かった時代のマイルスをリアルタイムに体験できたこの日を、私は忘れる事は無いだろう。その後のマイルスの消息を私は知らない。