先週から東京方面に出かけ、昨日帰ってきた。
本当は一昨日帰る予定だったが、雪にやられ高速のSAにて車中泊。仕事以外の今回の目的は山梨の「ほったらかし温泉」と雪の富士山。
やはり富士は雪があってはじめて富士。そういう写真に子供の頃から親しんでいるせいなのか、夏の富士山はちょっと物足りなく感じてしまう。私は、そろそろ雪の富士山が見れるかなと楽しみに出かけた。
ほったらかし温泉に着いたのは午前1時ごろ。
まだ、入り口のゲートは閉じていて、ゲート前で車中泊。途中で買ってきたコンビニのおでんをつまみに、富山から持参してきた日本酒「立山」を味わう、端麗辛口で、富山の海の幸の味を引き立ててくれる私にとって最高の地酒だ。遠くに行く時にもこれは持って行く。
富山にも富士山のように霊山として知られる山「立山」がある。
立山高原の奥の奥に72峰に連なる立山連峰が広がり、その首座として僅かに飛び出した3つの頂を総称して立山と呼んでいる。富山県の各地からその姿を望める立山だが、平野から望む立山は実に地味な山だ。しかし、少し高い山から、立山高原とその奥に見える立山を一望するとそのスケールの大きさに圧倒される。ネパール高原を彷彿とさせる迫力がある。私が住んでいる家も立山から連なる支稜が最後に平地に落ち込む手前に建っている。
立山に連なり、急峻に聳え立つ岩の山がある。その山は尖塔を持つ鋭い山並み、大きくせり出す急峻な尾根から「剣岳」と呼ばれている。山をやっている人にとっては、「立山」よりもはるかに魅力的でシンボリックな存在だ。但し、県外の一般の人にはあまり知られていない山かもしれない。国土地理院発行の5万分の1地図にはその標高が3003mと記載されていた時代もあったが、最近の測量では2999mと僅かに3000m峰の地位を失っている、悲運の山だ。
来年、新田次郎原作で「点の記」という映画が一般公開されるらしい。剣岳の山頂に三角点を設置した人々の物語だ。そうすれば、一般の人にも剣岳の名前の由来となったその険しさが伝わるだろう。
いずれにしても富山というくらいだから、富山県には、山はそれこそ山ほどある。そんなところに住んでいる人間が富士山を見ると、その独立峰としてのあまりにも完璧なシルエットに圧倒される。あまりにもカッコイイのだ。あまりにも目立つのだ。ちょっと恥ずかしいくらいだ。少しは隠せよといいたくなるくらい真っ裸な姿に見入ってしまう。下のほうを隠すようなそぶりも無く、どっしりと稜線を緩やかに延ばしていく様は色っぽく美しい。
今から37年前にも、これと同じ経験をした。高校3年生だった私が初めて東京に行った時の事だ。山手線の電車に乗ってまず驚いたのが、東京の女の人の綺麗な事だ。今から考えてみれば、田舎に比べて東京は若い人が多いだけだったのかもしれないが、なんだかどきどきしたものだ。
突然、車の窓をたたく音がしたので、目が覚めた。まだ外は真っ暗だ。町から登って来た「ほったらかし温泉」の主人が私を起こしてくれたようだ。眠い目をこすりながら、最近拡張された広い駐車場に車を入れる。風呂に入れるのが4時30分頃と分かり、しばらく車の中で、向かい酒をやる。本当は露天風呂の中で飲みたいのだが、ここは持ち込み禁止。ほろ酔いになったところで風呂に突入する。外は相変わらず真っ暗だが、眼下には甲府の町の夜景が美しく輝いている。
残念ながら天を仰ぐと星は無い。今日は富士山を拝めないらしい。今まで5回ほど来たが富士山が見えたのは2回だけ。そう簡単には拝めないらしい。
2時間ほど風呂につかり、風呂から出ると待っているのがおいしい朝食。「きまぐれ亭」で気まぐれに売っている。朝食と言ってもご飯と味噌汁だけのシンプル極まりないものだが。外で食べるこの朝食は私のもう一つの楽しみでもある。朝の空気の中で食べると言うだけで、粗食が何者にも変えがたいご馳走になるのだ。そしてもう一つ、ここでは朝食を注文すると漬物とおからが無料でもらえる。この漬物とおからがなんともおいしい。最後は、お茶漬けにして漬物をほお張り、「ほったらかし温泉」での私の至福の時間が終わりを迎える。
その頃にはすっかり酒も抜け、都会の喧騒の中に車を走らせていく。
この温泉には余計なものが何も無い。
湯浴みの人を「ほったらかし」にしてくれる。
また、来るからな。あんまり立派な温泉になるなよ。
立派な温泉なんていくらでもあるんだからさ。
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