空飛ぶ古本屋

我が家のロフトにはパラグライダーが3機しまってある。そのうちの1機は木に引っかかった時に破損したので、実際に使えるものは2機だけだ。
パラグライダーを始めたのは18年前。師匠が日本選手権や世界選手権に出場していたアスリートだったので、私の腕もめきめき上達し、各地の大会に出場していた。
始めた当初のパラグライダーは性能も悪く、標高差500m程度をパラグライダーを担いで登り、離陸すると山肌を掠めながら5分ほどで降りてくる程度ののものだった。それでも、汗だくになりながら山を登ったものだ。勿論、シーズンになるとゴンドラを使って一気に上ることも出来たが、それを待ちきれずに1時間以上もかけて山を登ったものだ。
数年するとパラグライダーの性能が急激に良くなり、上手く上昇気流をつかむと、2時間、3時間と飛んでいることが出来るようになった。
そんなパラグライダーだったが8年程前にピタリと止めた。
自分の会社を設立したのが原因だった。アルバイトは使っていたが、私に何かあれば業務が立ち行かなくなるような状態だった。パラグライダーは危険すぎた。
実際、その時までに私は3回ほど死にそうになっている。1度は木に引っかかった。咄嗟に木にしがみついたので墜落は免れた。2度目は電線に引っかかった。あと1mずれていたら電柱に激突するところだった。3度目はきりもみ状態での墜落。落ちたところが急斜面だったため、地面に激突しないで、滑り落ちることによって死を免れた。3度目のときは1ヶ月ほど松葉杖をついていた。
パラグライダーは上昇気流にとどまる事で上昇していく。風を知り、風と友達になることが空ではもっとも大切なことだ。
パラグライダーで地上を離れた私は、木立の葉のざわめきに目を凝らす、目には見えない上昇気流を探すためだ。上昇気流に近づくと翼端がわずかに持ち上げられる、それと同時に私は旋回を開始する。徐々に機体全体に風の圧力を感じ、パラグライダーはゆっくり上昇していく。旋回の大きさと角度を調整しながらさらに上昇気流の中心を目指す。
中心を捕らえた瞬間、秒速6m近くの空気の塊と共に、私の体は一気に上昇していく。山々の頂上を越えると360度の展望が開け、眼下のスキー場が箱庭のように見えるころ、私は標高1800mの大気と共にある。そして、雲に吸い込まれる前に目標の峰を目指し滑空を開始する、途中いくつかの上昇気流に助けられながら目指す峰の中腹に取り付く。そこからまた風を探し、上昇の時を向かえる。
広大な地球の広がり、無限に続く空。エンジンの爆音も排気ガスのにおいも無い。唯、太陽が生み出す大気のうねりを感じることによってのみ、その上昇が可能となる。
大きな自然と共にある時、地上を這いずり回って生きている、自分の小ささ、頼りなさががよく見えてくる。つまらない見栄や不安から人を傷つけたり、一歩前に踏み出せなくなっている自分が、何故か滑稽にさえ思えてきたものだ。
自然との一体感が、いつの間にか心のバランスを修正し、やせ細った心を豊かにしてくれる。
人間は労働によって自然を人間化して来た。そして、それが進歩と呼ばれてきた。それを否定するつもりは無いが、人間が自然化される事も時には必要なのだろう。
空飛ぶ古本屋が一人くらいいてもいいかもしれない。

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