十数年前に読んだ本だが、今でも数少ない蔵書として私の本棚に残っている。私が本を人に送るという事をした唯一の本でもある。
父母に先立たれ、祖父、祖母に育てられたインディアンの少年は山間の丸太小屋でチェロキーインディアンの文化と伝統、そして愛に育まれながら成長する。
現代人が忘れかけている生きることの豊かさとその意味を垣間見させてくれる心の書だ。
近代社会で疎んじられてきたアニミズムが高らかに歌い上げられ、人間が地球の生態系の一部であることを思い出させてくれる。
『リトル・トリー』
フォレスト・カーターめるくまーる社
1999年11月30日発行
チェロキーインディアンは心に2つあると言う。この世の心としてのボディーマインド、そして永遠の心としてのスピリットマインド。
ボディーマインドは体がちゃんと生き続けられるように働く心。食べ物、衣類、住居を求め、子供を産み育てる事に使われる心。
スピリットマインドは世界を深く理解する心。そして、永遠に生きつずける心。
ボディマインドを悪いほうに使えばスピリットマインドははどんどん小さくなっていく。体が失われた時にボディマインドは消えてゆくが、スピリットマインドは永遠に存在し、生まれ変わった時にあなたの心に再び宿るという。
自然を生きるための対象としてしか見ないデカルト的合理主義が、やがて人間をも、手段におとしめるのに対して、チェロキーインディアンの大地や動物や他の人々と生を分かち合う知恵が、自然や人間を感謝の対象としてとらえ、豊かな愛、スピリットマインドを育てていく。
リトル・トリーは全編、知恵にあふれたインディアンの世界観が描かれている。知識や情報にあふれている現代社会の中で、我々が自分でも気づかない間に失いかけているスピリットマインドをもう一度見つめなおすきっかけを与えてくれる。
なにより、豊かな自然描写、少年を取り巻く大人たちとの出会いと別れが強い感動を沸きあがらせる後半部分に、久しぶりに目を潤ませられた。
同じ、インディアンを題材にして筆者が描いた「ジェロニモ」は「リトル・トリー」とはうって変わり、白人社会に追い詰められ、取り込まれていくインディアンの中で孤高を保ち、自らの寄って立つ世界を最後まで守ろうとした誇り高きインディアンを力強く描いている。
しかしながら、読むたびに何かを教えられる、生涯の書として選ぶなら「リトル・トリー」が群を抜いている。平易な文体で描かれているので、小学校高学年から楽しめるだろう。