エリック・ドルフィー

マイルスの事を書いたので、ドルフィーの事も書きたくなった。
マイルスは長生きだったが、コルトレーンやドルフィーは短命だった。ハッキリした年齢は思い出せないが、コルトレーン40歳代、ドルフィー30歳代だったと思う。
コルトレーンは短命であったにしろ、その生涯の中でやるべきことは全てやってしまったような気がする。マイルスのもとで成長し、自らの音の世界を見つけ出し「ジャイアントステップ」でシーツオブサウンドの基礎を築き「至上の愛」で神の恩寵を讃え、ドルフィーに触発されながら、フリーという領域に神への道を探り、「アセンション」でぶっ飛んでいった。彼にとっての聴衆はもう神一人で十分になっていたかのように聞える日本公演での「マイフェーバリットシング」。そして、彼は名実共に聖者となってしまった。
エリック・ドルフィーって誰?最近JAZZを聴き始めた人の中にはそんな人もいるかも知れない。私も、最初は知らなかった。
ある日、神田神保町のジャズ喫茶スマイルで、昼間からウイスキーを飲んでいた時,私の心の中にすーっとフルートの音色がハミングバードのように舞い込んできた。花々と戯れるような自然の響き、それは人が演奏しているとは思えないくらい、澄んでいて、黒に埋め尽くされているJAZZ喫茶の空間が、一瞬で草花に覆われた野原に変わったような驚きだった。ある時は、地上近く花弁の蜜を吸い、ある時は天に浮かぶ雲と競うかのように高く昇っていく。ハミングバードの高速な羽ばたきがスローモーションのように流れ、更にストップモーションに転じ、湾曲した羽が空気をゆっくりと押し下げていく。かと思えば、羽根は空気に解け去り、球状のボデイーだけが、鉛直方向に跳ね上がっていく。
演奏が終わった後、巴ママに尋ねると。エリック・ドルフィーだと教えられた。「At the five spot vol.2」のB面を全て埋め尽くしている1本の溝から流れていたのは「Like Someone In Love」という曲だった。
初めて買ったレコードは「Last Date」。B面に入っている「You don’t know what love is」は彼の演奏する最も美しいフルートだろう。ライナーノートを読んで彼がすでに亡くなっている事、そして、このレコードが最後の録音だった事を知った。レコードの最後の曲が終わると、突然、エリックドルフィーの肉声が聞える。私が、音楽以外で知る、唯一のエリックドルフィー。余りにも有名な言葉だが、あえてここに書いておこう。
When you hear music, after it’s over, it’s gone in the air. You can never capture it again.
音楽という言葉は、一つのメターファーに過ぎない、その言葉は創造にかかわるあらゆる瞬間を含んでいる。人の生も一つの創造であるからには、そこに人生という言葉を埋め込んでも、なんら、意図するものは変わらない。
30代の彼の音楽はまだ途上だった。
世阿弥は60歳になり「花鏡」の中でこう述べている。
初心忘るべからず
是非の初心忘るべからず
時々の初心忘るべからず
老後の初心忘るべからず
命に終わりあり、能には果てあるべからず
芸に対する慢心を戒める言葉なのだろうか。芸術という一瞬の生成の中に滞る事があってはならない。完成とはある意味、芸術の生成の死を意味する言葉に過ぎないのだから。1度きりの生成の中に生きている事。そしてそれを知っている事。
世阿弥とドルフィーは同じ物を見つめている。
それにしても、ドルフィーの人生は短かった。短かったからこそ、私の心に響いてくるのかもしれないが、私は、もう少し、彼の踊りを眺めていたかった。コルトレーンやマイルスが道を切り拓き、私の視界の彼方に消え去ったように、ドルフィーにも生きてもらいたかった。彼の墓はいまだ私の視界の中にあり、その先に道は無い。

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