自由

ローズと二人でやっている古本屋は365日年中無休に近い状態だ。365日年中無給を経験した事もある私にとっては、無給より無休のほうがどれだけ幸せなことか。
10年ほど前になるだろうか。私はお店を取材しホームページで紹介するようなサイトを運営していたことがある。そのホームページでは商店が個々のホームページを持ち通信販売も可能なようにしていた。楽天ができて1年目ぐらいの頃だった。私は若い人たちが手作りで作っているようなショップを積極的に訪問し、彼らとさまざまな話をした。
彼ら、彼女らに共通の価値観は「自由」だ。「自由」を得るための基盤として、又「自由」を表現するステージとしてお店を立ち上げている。確固たるビジネスモデルを元にやっているわけではない。趣味の延長として又は自分のやりたい事を続けていくための経済的よりどころとしてのお店だ。勿論多くの店はいつの間にか消えていく。それでも。次から次と「自由」を求める若者達がチャレンジを繰り返す。今では、金沢に支店を持つ店もあるようだ。
「大人」は安定を求めるが「若者」は自由を求める。時代がいくら変わろうともこの図式は生き残っていくのだろう。「若者」までが安定を求める世の中になるとすれば、種としての人間の滅亡が近いといえるのかもしれない。ニーチェはその著書でツァラトストラに「小さな人々」について語らせている。そこには「安定」があり「快楽」があり「幸せ」がある。人々は「健康」と「小さな幸せ」の中で何事も無く天寿を全うする。全ての人々に穏やかなハッピーエンドが訪れる世界。
悪くは無い。悪くは無いが、それこそツァラトストラがもっとも嫌う世界だ。そこに「自由」というものが存在しなければどうだろう。「情熱」というものが存在しなければどうだろう。「感動」というものが存在しなければどうだろう。そこで、人は何のために生きるのだろうか。
年を経てきた私には「小さな人々」の世界もまんざら悪くないような気もするが、「若者」までがそれにあこがれるようになるようでは一抹の寂しさを覚える。だから、私は「自由」を求めて自分の店を持つ若者達が大好きだった。
私は、この年になって、遅ればせながらささやかな「自由」を手に入れた。365日年中無休の古本屋だが、何とか生きている。誰からも指示されることは無いし、誰かを指図する事も無い。起きたい時に起きて、眠くなったら寝る。散歩に行きたくなったら散歩をする。本を読みたくなったら本を読む。年中無休だが、年中遊んでいるような気もする。勿論、エアコンも買えないくらいの生活程度なので人様に薦めはしない。
今年の夏はのんびり暮らそうと思っていたので、7,8月はほとんど仕入れをしなかった。さすがに売上げは半分程度に落ち込みこのままでは年を越せるか分からない。
9月からは仕入れにフル稼働することになるだろう。フル稼働する月は実質労働時間は300時間を軽く越える。のんびりとブログを書いていられるのもあと僅かかもしれない。

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