続・三丁目の夕陽

一度映画館で見た映画だったが、テレビでやっていたので「続・三丁目の夕陽」を見た。冒頭のゴジラのシーンはやはり映画館で見ないと、あの迫力は伝わってこないなと、今更ながら実感してしまった。
私のような昭和30年生まれの人間にとっては正に原風景とも言える背景の中で、今の時代から見れば原木のような素朴な人たちの生き様が描かれている。「失われてしまったドラマ」とも言えそうだが、人間の本質なんてそう簡単には変わらない。余計なものが一杯あふれている今の時代で見えにくくなっただけのような気もする。
最後のシーンで、主人公とその妻となるべき女性と少年が夕陽を眺めている。細かなせりふは忘れたが、こんな風な会話だった。
「今日の夕陽は一段と綺麗に見えるな」
「ええ、そうね」
「僕は、どうしてだか知ってるよ。それはね、3人で見てるからさ」
最後の少年のせりふがこの映画の全てを語っているような気がする。
ひょっこり、人として生まれてしまった私たちは皆それぞれに幸せを求めている。不幸を求めている人なんていないだろう。
その幸せっていったい何なのか。
世の中では、「勝ち組」・「負け組み」という言葉がにぎわっている。そして、その基準は何かなと眺めていると。どうやら金を持っているのが「勝ち組」で金を持っていないのが「負け組み」らしい。
確かに金を持っていないと何かと不便な事が多い。お金はあるに越した事は無いだろう。でも、「勝ち組」=「幸せ」というような単純な図式にはならないようだ。「勝ち組」になるために「幸せ」を取り逃がす事だってあるだろう。
以前「イントゥー・ザ・ワイルド」という映画を見たことをブログに書いた。そのエンディングまじかに主人公が本にメモした言葉がある。
「幸せって言うのは誰かと共にいる時に始めて本物になる」
その言葉と「続・三丁目の夕陽」のラストシーンで少年が言った言葉があまりにも符合するので驚いてしまった。
幸せって言うのは意外にシンプルな事なのかもしれない。

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