11月もまもなく終わりを告げ、師走の足音がすぐそこまで響い来る。
プーと違い脳の十分に発達した私には、過去があり、未来があり、過去と未来を分かつ今がある。今だけに心と体を預けて生きて生きたいと思っていてもなかなかプーのようにはいかない。
同じような1日が過ぎていけばと思うが、大晦日と元旦を目の前にすると平常心ではいられない。50を過ぎても迷いは尽きず、節目、節目に身を正す。
個人事業者にとって、まもなく1会計年度が終了する。夏の間3ヶ月ばかりのんびりしたせいで売上げが低迷している。因果応報とは正にこのことだろう。商売ごとにお釈迦様を登場させるのは気が引けるが、物事には必ず原因がある。
そこで古本屋店主見習が取った最終手段は、自分の蔵書を売り払う事。蔵書といっても仕入れた本で、売るのが惜しい本を溜め込んでいただけの話だが、ここ半年ほどで300冊程度の本がダンボールに眠っていた。
全て、アマゾンマーケットプレィスに出品するわけだが、未練があるのか、値付けが辛くなる。やはり未練があるのだろう。売りたくない本ほど高くしてしまう。
これでは、売れるものも売れなくなると思い、心に鞭を入れるのだが、心の方も結構頑固で、譲ろうとしない。ここ2日ばかりこの格闘が続いたが、ようやくほぼ全ての本を出品した。それでも、手元には20冊ほどの本が残っている。本好きの古本屋ほど商売に向かないものは無いのかもしれない。
「森の生活」という本がある、アメリカの文学者ヘンリー・デビット・ソローという人が今から100年以上前に書いた本だ。私は、岩波書店の旧版全1冊で読んだ。団塊の世代の方には青春時代の愛読書として読んだ人も多いのではないだろうか。ヒッピーという言葉も死語になっている今、ヒッピーのバイブルと言っても若い人たちにはピンと来ないだろうが。カウンターカルチャーとしての自然を愛した元ヒッピーの本棚には今なお、古ぼけてぼろぼろになった「森の生活」が眠っているのではないだろうか。
現在流通している岩波版は上下2冊に分かれて、字が大きくなり見やすくなっている。それでも私のような年齢になると読むのが辛い。この現行版の(上)のISBNと旧版のISBNが同じになっていることで、1度トラブルがあった。
高額本以外は出品ツールを使って一括で本を出品するため、旧版の「森の生活」全1巻を出品すると、アマゾンでは新版の「森の生活」(上)として出品されてしまう。お客様は新版の「森の生活」(上)を購入したつもりなのに、私どもからは旧版の「森の生活」全1巻が送られてくる。そこでトラブルが発生するわけだ。
新版の「森の生活」(上)が在庫としてあれば、すぐにお送りする所だが、残念ながらその時は在庫が無かったため、全額返金させていただき、お送りした旧版はそのまま手元においていただく事になった。申し訳ないことをしたものだ。ISBNにまつわるトラブルはこれ以外にもあるのだが今はやめておこう。
「森の生活」には絶版を含めさまざまな人の訳本がある。岩波版はどちらかと言うと格調高い訳で正直今の人たちには読了するのが難しい気がする。その点、小学館から出ている単行本は訳がこなれているし、字も大きく読みやすい。私は最近ではこの本を時々取り出しては読んでいた。
今回はこの本も手放す事にした。背に腹は代えられないという側面も無いことは無いのだが、書物によって得られる「森の生活」よりも、今、我が家の眼前に広がる森に教えられる事の方が多くなったせいだろう。老眼に鞭打って言葉に分け入るより、目の前にある自然と共に在る事の方がふさわしい年齢になってきたのかもしれない。
「林住期」とは釈迦もうまい事言ったものだ。若い時代の「森の生活」と老人の「森の生活」は似て非なる世界なのだろう。まだまだ子どもや家族のために働く毎日で「林住期」まで少なくともあと7年を待たなくてはならないが、私自身の「森の生活」が心の奥底で静かに胎動し始めているのかも知れない。
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